アイデンティティ

難病だった。今まで違和感というか、そもそも生まれつきがあったので外見に関して他の人と差異がある自覚はあったが、自分が病気であることは知らなかった。
自分らしく生きるのはとても難しい。一体何をもって個性と呼ぶのか。

20年間生きた中で、生活に困る大きな障害はなかった。これが当たり前だと思って生きていたら小さな壁には気づきにくい。しかし幼い頃を思い出すと、夜中に母親が私の名前を必死に呼んでいた記憶が今でも残っている。

現代では多くの人が病名に頼っている気がする。そこに自分の存在を置くことで、自らで生み出すアイデンティティを放棄しているように見える。これはスマホやブランドといった、自分とは別に、もうひとつのアイテムを持つことが当たり前になったからなのではないかと私は考える。アイテムというのは、スマホでは抽象的だが、SNSアカウントで擬似的なもう一人の自分を生み出したり、ここで私が言っている自分の特徴に病名をつけ、属化することによって常に孤独では無くなったりするという問題を私は提起している。これは十分問題だ。ドッペルゲンガーになってはいけない。孤独になり、自分は誰にも理解されないという恐怖を味わった後にようやく自分らしさを見つけることができる。

だから、私の病気も知った時は自分とは何か揺らいでしまった。しかし、私は誰からも侵されることの無い個性を持っていて、これは揺るぎない強い思いであるから、私はまだ生きていられるのだと思う。