平和は状態、戦争は経過。

踏切で止まる時間が愛おしくなった。
状態を維持するのは私にとって困難で、汚い自分が地面を這って平和を乗り逃がさまいと必死になっている事実が許せない。戦争を始めると、誰かの心が傷ついてしまう。どんなときも、産まなければよかったという言葉が私の希望を呪いのように邪魔をする。
毎日泣きながらご飯を食べて吐いていた。未成年だった私はどこにも逃げる場所を見つけられなかった。漠然とした社会にずっと反感を抱き、何も出来ない自分が憎かった。
大学生になってあれは戦争の夢を見ていたんだと気づいた。それでも私の脳には地雷がいっぱい埋め込まれていていつの間にかそれらが膨張していった。

pm.

前略。

思い出は心の中に。

好きな人とご飯を一緒に食べる時間。お風呂上がりにアイスを食べる時間。初詣に行っておみくじを引く瞬間。家族みたいなことが出来る時間がたまらなく楽しかった。幸せだった。今まで手に入らなかった私の隙間が埋まる感覚は、きっと他の人にとってはあたりまえなんだろう。羨ましかった。手を引いて遊園地で楽しむ家族やフードコートで食事を分け合う家族。色んな家族が私を馬鹿にしているように見えて怖くなる。疎外感がたまらなくて苦しかった。だけど、どこにでもある幸せの隙間に私も入れた気がして嬉しかった。本当にありがとう。

この先のことなんてどうなるか誰にも分からないけれど、大丈夫になるんだきっと。高熱で天井をずっと見つめていたら自分が親に愛されなかった瞬間を思い出して怖くなった。強い孤独に勝てなかった。欲を言えば本当は、喉から手が出るほど普通の幸せがほしかったけど、自分の業は自分で後始末しなければいけないんだと思う。色んな人に出会って、色んな人の幸せを見届ける。

時には母のいない子のように黙って海を見つめていたい。

復讐

拙くなってゆく言葉を一生懸命絞り出しても、もう出てこない。出てこないことすらどうでも良くなった。一般社会にのまれてゆく感覚に慣れてしまった。
私は「二十歳の原点」を読まずに21歳になった。就活のことで頭がいっぱい。恋人のことで心がいっぱい。他人の悲しみを考えたくもないし、自分の悲しみと向き合いたくない。思い出したくもない。いまの自分の生活だけで精一杯だ。私の事を傷つけてきた動物はみな死んでしまえばいい。私の事を大切に思ってくれない人間は絶滅しまえばいい。私がいるのに、そこにいたのに、目の前で自分を傷つけたあの時の母親も嫌い。お母さんを殴っていたあの時の父親も嫌い。もっと勉強して知恵をつけていれば良かった。幼くて知識がなかったあの時の私も嫌い。何も出来なかった自分が憎い。蚊を殺せば生態系が崩れるように、私の心を殺してきた者の世界が壊れれば良い。お前にとって私が、血に寄ってくる気持ちの悪いメスの蚊だったとしても、それでも自分を守りたかった。嫌だと言えなかった、自分が逃げれなかった私が悪い。振り切った先には現実社会が私を試してきた。飲まれた途端に言葉が消えた。今を生きるしかない。強くなるしかなかっただけで、本当は優しい人間になりたかった。

黒い高揚

高揚した男の股座で女がうずくまっている。女の表情は隠れて見えないが、泣いているのが私には分かった。涙は流れていないものの、紅潮した女の頬が、強い怒りと悲しみを帯びて静かに血を充満させている。女の上で動くリズムが早くなると、互いの表情が苦しくなってゆく。同じ気持ちでいるはずなのに、女の脳裏に別の黒い男が何度も現れて快楽の邪魔をしてくる。
本当に誰も悪くないのか。
黒い男が、「悪いのはお前だ。」と女に囁く。何度も私は、彼女に大丈夫だよと声をかけてあげるが全く届かない。女を救ってやれなかった憎しみを、私は目の前の男で体現する。身体の底から快楽を締め上げるように女が天井を睨み、静かに怒鳴る。

悪いのは私だ。
助けてあげられなくて本当にごめんなさい。

port.11:43

畳を嗅いで気を紛らわそうとした。だけど、喉の奥からこっそりと流れる赤い匂いでどうしてもかき消されてしまう。おまじないは要らなくなった。練習しておいたから鉄の味にはもう慣れてしまった。
今日は満月だ。

角が一本生えている。それをどうしても抜きたくて、まっさらにしてやりたくなった。全て、この世の全てが触れることの無い文字になればいいのだ。何回でも糸は紡ぐことが出来る。ほつれたら縫い直せばよい。
空洞を強く締めるように今日も糸を通す。

痛い。すごく痛い。あまりの痛さに泣きそうになる。だけど、この二重生活を終わらせる為に、必死に生にしがみつく。失うものが無くなるまで言葉を限界まで引き出してゆく。たとえ血が流れたとしても私は言葉で遊びたい。

港に着くまで時計に電池を入れ直す。

まだ旋回の途中。

怒り

強い怒りが込み上げてくる。
どうしようもない憎しみと引き換えに、私は透明の優しさを覚えた。排水溝の底から、大事なものが流れてゆく音がする。誰も傷つけないようにと愛が蝕まれてゆく。誰も悪くない。

強い怒りが込み上げてくる。
どうしようもない悲しみと引き換えに、私は透明の優しさを覚えた。天井から泣き声が聞こえてくる。自分がもう傷つかないようにと心が蝕まれてゆく。誰も悪くない。

怒りを沈めなくちゃ。

アイデンティティ

難病だった。今まで違和感というか、そもそも生まれつきがあったので外見に関して他の人と差異がある自覚はあったが、自分が病気であることは知らなかった。
自分らしく生きるのはとても難しい。一体何をもって個性と呼ぶのか。

20年間生きた中で、生活に困る大きな障害はなかった。これが当たり前だと思って生きていたら小さな壁には気づきにくい。しかし幼い頃を思い出すと、夜中に母親が私の名前を必死に呼んでいた記憶が今でも残っている。

現代では多くの人が病名に頼っている気がする。そこに自分の存在を置くことで、自らで生み出すアイデンティティを放棄しているように見える。これはスマホやブランドといった、自分とは別に、もうひとつのアイテムを持つことが当たり前になったからなのではないかと私は考える。アイテムというのは、スマホでは抽象的だが、SNSアカウントで擬似的なもう一人の自分を生み出したり、ここで私が言っている自分の特徴に病名をつけ、属化することによって常に孤独では無くなったりするという問題を私は提起している。これは十分問題だ。ドッペルゲンガーになってはいけない。孤独になり、自分は誰にも理解されないという恐怖を味わった後にようやく自分らしさを見つけることができる。

だから、私の病気も知った時は自分とは何か揺らいでしまった。しかし、私は誰からも侵されることの無い個性を持っていて、これは揺るぎない強い思いであるから、私はまだ生きていられるのだと思う。