即席の愛

醜さを美しいと思える瞬間を優しく包み込むことができたら、ひとは一生永遠になれるのに。美しい瞬間だけで形成される子宮に還ると、永遠がひとを鮮やかに殺してくれる。永遠の愛は、間断なく臍の緒を伝って宇宙から降り注がれた後、やがて灰になる。その灰をも美しさを帯びており、そしてまたあなたは永遠と為る。
そもそも永遠とはすごく美しく危険な存在である。その極地に達する時、ひとは永遠の真実を知るだろう。そして永遠の愛に気づくだろう。よって私は永遠である。

即席の愛は永遠ではない。永遠はそれを許さない。しかし、これは全てを愛する存在として矛盾しているわけなので、やはりまた、即席の愛を愛すだろう。永遠はすごく苦しんでいる。しかし醜さを愛することによって永遠は生きている。生かされている。これは人間的であるか否かは私には分からない。少なくとも他人からの理解はないであろう。

明日で私は19になる。自分の人生に向き合わなければいけない時間は非常に苦痛である。どうして生きていることが褒められずに、少しずつ重くなる十字架を背負って歳を重ねる瞬間だけが喜ばれるのだろうか。さらに贖罪の念に駆られるばかりである。私だけ知ることの許される儀式は自分を穏やかにしてくれる。幼少期に、おまえの居場所はここなのだと名前も知らぬあの人に教えられた時から私は時々あの歪んだ場所に帰らなければならない。


私が壊れないと醜さを認識できずに、私の美しさが永遠に守れないじゃないの。