2002

午前5時58分。彼らは私の目の前で生きていた。同窓会のように、私たちはかつての高校時代の過ちを語り合った。皆が狭い6畳の一室で、くだらない会話に命を燃やし、5つの鼓動に拍車がかかる。
誰も不運な形で死ぬことはない。誰も悲しい思いをする必要は無い。例え、涙を流す現実を経験しても、笑って前に進んで生きてほしいと思う。正直、苦しくて死んでも良いと思う。それでも彼ら彼女らが死ぬ行為に価値を見い出すことが出来たならそれでも良いと思う。ただ、生きていた事実に誇りを持ち、祝福を掲げることしか出来ないが、私はそれでも生きる。勝手ではあるが、地獄を見ても、それでも生き延びてしまった人間たちの人生を私は称えたい。私は多くの人の消えた魂を胸に閉じ込め、生きる。生き延びてしまっても死んでしまっても私は幸せだ。人々と触れ合うことが出来てこの上ない幸福に包まれる。彼らの寝息は、昼間の柔らかい雲よりも優しい音色であった。私はそんな彼らの呼吸を守りたい。
今、ロシアがウクライナと戦争をしている。私は当事者ではないが、戦争で命を落とす人間が少しでも少なくありますようにと願った。願うことしか出来ないが、それでも願い続ける。

warmth

一枚のキャンパスに「私」がいた。彼女は、微かに微笑んで僕を数分間見つめた。彼女の瞳は茶色で、その小さな玉は 光の反射で魂が宿っているのが分かった。僕は左手で、髪の毛、鼻、唇と彼女の身体を辿った。そして彼女の乳房に触れてみた。しかし、鱗粉のような膜に覆われ、核心に迫ることは出来なかった。今度は彼女の唇にキスをしてみた。しかし、自分の唇の柔らかさしか感じることが出来ず、固まった油ですら、僕と絡むことを拒んだ。なにをすれば、彼女の温もりに触れることが出来るのだろう。僕はその術を失い、彼女に抱きついた。すると、僕の頬に重なった彼女の頬から、体温を感じた。やっと僕は彼女に気づいて悲しくなった。しかし同時に嬉しくなった。彼女が求めているのは「それ」ではなく、「こうする」ことだったのだ。
僕はもう一度彼女を見つめた。
彼女はやはり微笑んでいた。

映画のような

唾液腺から甘い体液が流れ出た。体調の悪い時は、吐き気が津波のように襲ってくる。特に人混みの中だと汗が止まらなくなる。凄まじい不快感で、これは良くない事態である。今にも目の前の電車に飛び込んでこの肉をミンチ状にしてやりたくなる。精神ぶっ壊れて脳みそ溶けないかなあと最近はいつもそれだけ考えている。堕ちる時はみんな一緒だ。自分が死んだら世界も死ぬ。私の人生は映画のように上手くいき、映画のように幕が降りている。その繰り返しだ。次の映画も大して変わらないだろう。私の幕はイスラエル嘆きの壁の中に埋まって、毎日私の破壊を嘆いている。可哀想だから早く殺してあげたいと思った。映画のように人を好きになり、映画のようなキスを交わし、映画のように死んでいく。全部が映画のように非現実的な現実だ。現実とは何か。私はここに存在して、確かに生きてはいるのだろうけれど、本当に実在しているのか分からなくて時々怖くなる。
もう全部映画でいいじゃん。

Desert

あなたと、あなたの関係はなんですか。
あなたと、あなたの娘の関係はわかります。
あなたと、あなたの家族の関係もわかります。
あなたと、あなたの関係はなんですか。
あなたが死んだら、あなたと、あなたの関係は消えますか。
あなたは、あなたと関係できますか。
「引用:自殺サークル(園子温)」


以前私は村上春樹スプートニクの恋人という本を読んだ。
本来の私と、社会の中で役割を演じている私は、同じものではないという疑問を抱き、自己の崩壊を感じた。一体私は誰なんだろう。私と私の関係はなんだろう。小説で触れられていた「あっち側」とは、自分を二面化した結果、もう一人の自分が生まれてしまったのではないかと私は解釈する。どこに位置する私が本当の自分なのか一生分からない恐怖が毎日続いている。この恐怖から逃れようと死の期待が高まる。しかし、自殺サークルのように、「自殺」とは、私と私の関係を解消するためではなく、自死という役割を与えられ、その役割に喜びを感じる手段として存在するのだろう。

だれも自分の役割を与えてはくれない。自分で役割を見つけることも出来ない。だからこそ、どの自分も、自分に関係のある自分として生きていくしかないのだろう。

私も私に関係のある私でいたい。

肌を刺す寒さのせいで私はまた死にたくなった。家までの帰り道、小学生の女の子二人がランドセルを背負って走っている。無邪気な笑い声が私を刺す。小雨が降っている。冷たい水が私を刺す。改装工事で男の人がリズム良くビスを打っている。鋭利なビスが私を刺す。この前東大で人が刺された。この前私と同じ歳の女の子が男を刺して捕まった。今この瞬間にも人の心が抉られている。毎日誰かが刺されている。彼らはいつ死んでしまうのだろう。私は何人刺したのか。そう考えた時、私と関わる全ての人間を傷つけているのではないかと思いとても怖くなる。年々生理痛が酷くなり、痛みが十字架のように私の子宮を刺す。女で良かった。人間でよかった。痛すぎて死ねるかも。

さいきん

私は生きていて何を思うか。
貴方は生きていて何を思うか。

反対側のホームの下に茂る雑草の中から、私はお花を必死に探した。だけど見つけることは出来なかった。夕方の太陽はどの時間よりも眩しい。直視できない希望を遮るように電車が通過する。

私の瞳孔がかっぴらいて身体中の毛細血管が開いた時、私はどうなってしまうのだろうか。心と身体を社会に委ねて完全に許した時、壊れてしまいそうで怖くなる。私の大事な人や物たちはここにあってはならない。常に捨て続けて生きたい。この気持ちは、飛行機の操縦士が墜落の恐怖から逃れる為に、自ら機体を落とす心理と同じなのかもしれない。私の宝物だった思い出の制服は、私と他人を繋ぐ鎧では決してないから静かにさよならをした。

私は何を思って生きるのか。
貴方は何を感じて生きていますか。

せかい

昨日、空に星が輝いていた。今日の朝、空に月が浮かんでいた。お昼時、久しぶりに万物流転を見た。コインランドリーには光が差していて、年季の入った木目を、ローファーでなぞりながら歩くと、コツコツと音がした。その音には楽しい匂いがした。ごみ箱には白いシューズが暖かそうに眠っていてとても可愛かった。6畳ほどの空間で全ての意識を感じた。植物が息をしている。彼が笑っている。彼女が泣いている。違う彼女は今にも死んでしまいそうだ。他国の彼は午前中からデモに参加し、車を燃やしている。また違う彼は宗教戦争により銃殺されているところだ。そしてわたしは微笑んでいる。みんなが、生まれたり生きたり死んだりしている。陽の光が暖かい。大学でひとりの人間と偶然再開した。彼と話す時はいつも指先の細胞が震えた。人間と人間の世界。わたしがわたしでいられる世界はとても心地よい。彼は男の人ではない。かといって女の人でもないので彼は恐らく人間なのだろう。傘に対する公平性の話をしたり一緒に音楽を聴いたりした。彼の一眼レフには埃が一切なく、面白い映画を私に見せてくれた。私は、最近レンズが曇っていたので昔のフィルムを、代わりに言葉を借りて見せた。最後に地球はどうして丸いのか聞いてみた。彼は地球は丸くないと言った。最後に分からないと言った。私はやっぱりあなたのことが嫌いだと伝えて別れた。その後受けた講義は、社会学者であるデュルケールの宗教生活の原初形態についての内容だった。考えることは悩ましいけれど、不安と共存していたいと思う。